モーリス・ブランショ 政治的パッション - ジャン・リュック・ナンシー

ナンシー 政治的パッション リュック

Add: dazal21 - Date: 2020-12-10 10:13:55 - Views: 5773 - Clicks: 3332

モーリス・ブランショ 政治的パッション 批評の小径 著者: ジャン・リュック・ナンシー 訳者: 安原伸一朗 この作品のアーティストの関連作をお届け!アーティストメール登録 書籍 出版社:水声社. | ジャン=リュック・ナンシーの商品、最新情報が満載!. モーリス・ブランショ―政治的パッション ナンシー,ジャン=リュック【著】〈Nancy,Jean‐Luc〉 / 安原 伸一朗【訳】 価格 ¥2,200 (本体¥2,000). 【定価11%off】 中古価格¥1,950(税込) 【¥250おトク!】 モーリス・ブランショ政治的パッション/ジャン・リュック・ナンシー(著者),安原伸一朗(訳者)/中古本・書籍/ブックオフオンライン/ブックオフ公式通販・買取サイト。. ついてのディオニス・マスコロの書簡.

ジャン=リュック・ナンシー著 ; 安原伸一朗訳、水声社、172p、20cm 新品 東区本店在庫 モーリス・ブランショ : 政治的パッション(批評の小径). 7: ページ数: 172p: 大きさ: 20cm: ISBN:: タイトル: モーリス・ブランショ 政治的パッション 批評の小径 タイトルヨミ. 本 の優れたセレクションでオンラインショッピング。. ジャン=リュック. org 第11回大会|パネル5: 神話と共同体 —— ジャン=リュック・ナンシーの近著『本来的に語ると——神話についての対談』を中心に 日時:年7月10日(日)14:00-16:00 会場:立命館大学衣笠キャンパス 以学館25号室 パネル概要 ・神話と政治 ―ジャン=リュック・ナンシー『本来. モーリス ブランショ セイジテキ パッション: 著者名: ジャン・リュック・ナンシー、安原伸一朗: 著者名カナ: ナンシー,ジャン・リュック、ヤスハラ,シンイチロウ: シリーズ名: 批評の小径: シリーズ名カナ: ヒヒョウ ノ コミチ: 発行者: 水声社: 発行者カナ.

初めにナンシーは、共産主義(コミュニスム)という語に着目して、共産主義は初め、共同体(コミュノテ)の可能性を示す試みとして現われてきたことを指摘する。 ナンシーによると、共産主義は生の意味を共同体のうちに解消させることなく、支配や排他的な秩序のかなたに、共同体のあるべき姿を描こうとする意図をもっていた。だがそうしたイメージは現代ではもはや通用しないし、させようとすることもできない。その理由は次の通りだ。 ナンシーいわく、共産主義の理想の基礎そのものに問題がある。それは「生産者」としての人間という理想だ。労働と「作品」によって本質を生み出すものとして人間を規定すること、ここに共産主義の失敗の理由がある。同じことが共産主義に対する否定についても当てはまる。両者はともに、共同体を生の意味を回収するものとして捉えている。問題はその点にあるのだ、とナンシーは考える。 ナンシーは、生の意味を回収する“求心力”が働くかぎり、民主主義あるいは自由主義であろうと、共同体は本質的に言って全体主義的であるという。そのことをナンシーは「内在主義」と名づける。. クリストフ・ビダン『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』上田和彦ほか訳、水声社、年; ジャン=リュック・ナンシー『モーリス・ブランショ 政治的パッション』安原伸一朗訳、水声社、年; 脚注. ツヴェタン・トドロフ『野蛮への恐怖、文明への怨念 「文明の衝突」論を超えて「文化の出会い」を考える』大谷尚文/小野潮訳(新評論、3500円) ジャック・ルーマン『朝露の主たち』松井裕史訳(作品社、2600円) ジャン=リュック・ナンシー『モーリス・ブランショ 政治的パッション. ナンシーによれば、ルソーやヘーゲルらの近代哲学では、共同体の喪失・解体を経て社会が成立し、それにともない主権をもつ自由な市民が生まれてきたとされる。その意味で、近代は個人主義の誕生に基づいており、内在主義は個人主義に支えられている、という。だが、ナンシーの観点では、そもそも個人主義自体に問題がある。 ナンシーいわく、これは暴力的で恐るべき論理である。それは各人の間の分離を絶対的なものに仕上げて、内在の自己充足(=エゴイズム)を完成させようとする強引で不可能な試み、すなわちファシズムの論理であり、他者を排除して共同体そのものを瓦解に追い込む“自殺”の論理である。近代の内在主義は、そうした矛盾を本質的に含んでいる。これがナンシーの直観だ。. 政治的パッション. See full list on philosophyguides. ナンシーによると、死の有限性の共有によって共同体が成立する。だが、共同体は「企て」によって立ち現れてくるものではない。ではどのように成立するのか。それは「特異性」の共-現によってだという。 イメージとしては、子供が母親から生まれるとき、母親という同一性から、子供という特異性が現れてくるとき、特異性を子供に「分割」することで、特異性同士が並び立ち、ともに露呈しあうのだ、というふうに理解するといい。ナンシーは次のように言っている。. 。私の読む限り、ナンシーはそう言っている。 ハイデガーでは、本来的な語り(言葉)は、良心の呼び声として、現存在に降ってくる(第57節)。それは日常の生活に落ち込んでいる私たちを呼び覚まし、先駆的決意性(=死の深い自覚に基づき、本来的な自己のあり方へと目がけようとする意志)を了解させる。 だが、ナンシー的には、言葉が実存の真理を明らかにするという構図は成立しない。そうした構図では、良心の呼び声以外の言葉、「エクリチュール」は、頽落した言葉、すなわち「空談」におとしめられてしまう。だが共同体は、死という有限性を共有する特異性の間における感情の“交換”において成立する。このことは恋人関係に限らない。共同体は目的や「真理」をもたず、また「作品」でもない。 「書くことを止めてはならない」。もし「.

モーリス・ブランショ 政治的パッション - ジャン・リュック・ナンシー ジャン・リュック・ナンシー. / 水声社 / ジャン=リュック・ナンシー+安原伸一朗 内容紹介:ブランショの「転向」をめぐる、政治的問い。30年代から戦中にかけての自らの活動をあけすけに語るブランショの書簡、さらに同時期のブランショについてのディオニス・マスコロの書簡、そしてナンシーの解説から. 近代の内在主義に対して、ナンシーは、共同体は喪失したわけでもないし、個々人が関係を結ぶことで成立するわけでもないと論じる。 孤独に存在する個々人から組織される、生産(=有為)の体制。これが民主主義から出発してファシズムに行き着く全体主義的、内在主義的な共同体である。それは生の意味を「作品」という観点からしか評価しない。「作品」は死によって完成され、共同体のうちに解消する。近代はここに死の意味があることを証明しようとしてきた。だがそもそも共同体は失われていない。むしろ各人が等しく死すべき存在であるという「有限性」の共有のうちに、共同体は成立している。それは決して作られることも、喪失することもない。そうナンシーは言う。. AmazonでNancy, Jean‐Luc, ナンシー, ジャン=リュック, 伸一朗, 安原のモーリス・ブランショ 政治的パッション (批評の小径)。アマゾンならポイント還元本が多数。Nancy, Jean‐Luc, ナンシー, ジャン=リュック, 伸一朗, 安原作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. 。そうナンシーは考えたように思える。 レヴィナスが共同体を倫理の可能性のつながりとして描き出しているとすれば、ナンシーは生の分割による至高性の分け与えの関係として描き出している。少なくとも私には、そう見える。 いずれにせよ、レヴィナスについてもナンシーについても、単なる反体制・反近代・反国家のポストモダン思想的な観点に回収してしまうと、そこから現代的な感度にとっての切実さを考えるためのヒントを受け取ることはかなり難しいだろう。そして、そうした反体制的な観点は、もはや効力をほとんどもたないものだ。. ハイデガーの論じる民族的な運命共同体に対しては、これまで様々な仕方で批判がなされてきた。ハイデガーは一時ナチズムと関係をもったこともあり(ナチズムの理念に強く賛同したわけではないが)、戦後その点に関してドイツ国内だけでなくフランスでも広く批判が行われた。 一方、ナチズムとの関係とは異なった観点からの批判もある。ここで特筆すべき哲学者としては、エマニュエル・レヴィナスを挙げることができる。レヴィナスは『全体性と無限』の冒頭で次のように論じている。 ハイデガー的な全体性の論理は、他者を同一性に連れ戻し、専制的な「国家」という暴力のもとでの抑圧を肯定する。では全体性に対して倫理をどのように考えればいいか。まず、倫理の根拠はエゴイズムや「自由」にはない。そこで次のように考える。私たちは、未来の世代がその責任をより一層果たしてくれるだろうという可能性への確信をもつことができれば、〈女性〉から得た優しさと、〈師〉から受けた「言葉」を根拠として、他者を迎え入れる責任のバトンリレーに参与する意志をもつことができるのだ、と。そのようにレヴィナスは論じていた。 ナンシーもまた、レヴィナスと同じく、ハイデガーの全体性に対して批判を行っている。死の不安による良心の呼び声が、実存の単独性を呼び覚まし、民族の歴史に参入させるというハイデガーの主張は内在主義的なものである。共同体は生の誕生による「分離」と、特異性の共-現によって、無為のうちに、感情のコミュニケーションを通じて成立するのだ.

ジャン=リュック・ナンシー『モーリス・ブランショ――政治的パッション』(単独訳) 著者: 誌名: 水声社: 出版者: 巻号頁: 出版日: /07/20: issn: doi: url: 概要: 機関リポジトリ. ジャン=リュック ナンシー『モーリス・ブランショ 政治的パッション』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに投稿された約0件 の感想・レビューで本の評判を確認、読書記録を管理することもできます。. モーリス・ブランショ 政治的パッション 商品コード:X著者 ジャン=リュック・ナンシー/著 安原伸一朗/訳. モーリス・ブランショ 政治的パッション - ジャン=リュック・ナンシー - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。. モーリス・ブランショ 政治的パッション. ジャン=リュック・ナンシー/著 、 安原 伸一朗/訳: 出版者: 水声社: 出版年月:. HMV&BOOKS online Yahoo!

【重要】本商品は委託品となり、取次店から直接手配となります。当店のお買い物ガイド(販売条件・支払い方法・送料について)をよくご確認の上、ご注文下さいますようお願い致します。 ISBN:タイトル:モーリス・ブランショ 政治的パッション ジャン=リュック・ナンシー/著 安原. ジャン=リュック・ナンシー | 年08月18日頃発売 | わたしたちは自由について自由に語ることができるか。自由はいかなる権利や理念でもなく、実存の事実そのものである。スピノザ、カント、ルソー、シェリング、ヘーゲル、ハイデガーなど西洋哲学の思考が執拗に問いつづけてきた「自由. 7 形態: 172p ; 20cm 著者名:. モーリス・ブランショ 政治的パッション (批評の小径) 新刊 著者 ジャン=リュック・ナンシー (著), 安原 伸一朗 (訳) 1930年代から戦中にかけての自らの活動をあけすけに語るブランショの書簡、さらに同時期のブランショについてのディオニス. ジャン=リュック・ナンシー『モーリス・ブランショ――政治的パッション』(単独訳) Author: Journal: 水声社: Publisher: Volume/issue/page: Publication date: /07/20: ISSN: DOI: URL: Summary: Repository. モーリス・ブランショ 政治的パッション 著 者:ジャン=リュック・ナンシー 出版社:水声社 isbn13:文学者ブランショの政治的「転向」をめぐって 〈共同での存在〉に触れる政治的パッションの問い. モーリス・ブランショ 政治的パッション - ジャン=リュック・ナンシー/著 安原伸一朗/訳 - 本の購入はオンライン書店e-honでどうぞ。書店受取なら、完全送料無料で、カード番号の入力も不要!お手軽なうえに、個別梱包で届くので安心です。.

クリストフ・ビダン『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』上田和彦ほか訳、水声社、年; ジャン=リュック・ナンシー『モーリス・ブランショ 政治的パッション』安原伸一朗訳、水声社、年; 脚注 編集. ジャン・リュック・ナンシー のおすすめ作品. ・上田和彦「書評:ジャン=リュック・ナンシー著『モーリス・ブランショ——政治的パッション』(安原伸一朗訳、水声社、年)」 ・立木康介「『女は不死である』、幻の序文」 ・鳥山定嗣「Jean-Luc Nancy, La Jeune Carpe (1979)」. ジャン=リュック・ナンシー | HMV&BOOKS online | 1940年、フランス・ボルドー生まれ。哲学者。ストラスブール・マルク・ブロック大. 大西雅一郎訳『哲学的クロニクル』(現代企画室, 年) La déclosion () Tombe de sommeil () Maurice Blanchot, passion politique, Paris, Galilée () 安原伸一朗訳『モーリス・ブランショ 政治的パッション』(批評の小径・水声社, 年) 共著. ジャン=リュック・ナンシー | 商品一覧 | 本・雑誌・コミック | HMV&BOOKS online | ジャン=リュック・ナンシーの商品、最新情報が満載!. 店のモーリス・ブランショ 政治的パッション 批評の小径 / ジャン=リュック・ナンシー 〔本〕:11008107ならYahoo! ジャン=リュック・ナンシー著『モーリス・ブランショ——政治的パッション』(安原伸一朗訳、水声社、年)/ 上田和彦 本書は、Jean-Luc Nancy, Maurice Blanchot— Passion politique, Galilée, を、ブランショのとくに両次大戦間期に詳しい安原伸一朗が全訳し.

モーリス・ブランショ : 政治的パッション フォーマット: 図書 責任表示: ジャン=リュック・ナンシー著 ; 安原伸一朗訳 言語: 日本語 出版情報: 東京 : 水声社,. 6月の新刊:モーリス・ブランショ――政治的パッション 《批評の小径》 年 6月 9日 コメントは受け付けていません。 モーリス・ブランショ 政治的パッション 《批評の小径》 ジャン=リュック・ナンシー(著) 安原伸一朗(訳) 判型:46判上製 頁数. ナンシーいわく、相互の露呈は、何らかの目標に向かって組織化を行うのではなく、他者への「情熱」を解放する。そして、相互の露呈によって現われる無為の共同体において、情熱が“伝染”していく。ナンシーによれば、ここでいう情熱とは「歓喜」のことだ。 この点についても、ナンシーは表象的にしか論じていないので確定的なことは分からないが、おそらくハイデガー的な死の不安に対抗する根本的な気分(情状性)として、歓喜を置いているように見える。 ハイデガー的な共存在を支えているのは、可能性としての死の不安だ。ハイデガーの本質観取によると、死の観念は私たちを「単独化」する。私たちは身の回りの世界から切り離されるとともに、実存の自覚(自分はただこの一回限りの生を生きているのだ、など)に達することができる。ハイデガーにとって、民族の運命共同体とは、そうした死の不安の自覚に支えられて成立する本来的な実存に目覚めた人びとの共同体のことだ。 一方、ナンシーのいう共同体は、不安ではなく、情熱すなわち歓喜に基づいている。特異性同士が相互に露呈するとき、情熱が通い合い、至高性のうちで、特異性はみずからを超え出ていく。このことをナンシーは、バタイユのエロティシズム論に即して論じる。バタイユは至高性における共同体を、脱自すなわち「恍惚」による恋人たちの共同体として描き出した。だが愛が共同体の合一の営みであるという見方は成立しない。むしろ恋人同士は、「分割」され、相互に露呈するからこそ、言葉をつむぎ、歓喜をともに通わせるのだ.

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